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南紀白浜観光協会

世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」

全体図
熊野古道とは

熊野古道は、紀伊半島南部にあたる熊野の地と大阪や伊勢、高野及び吉野とを結ぶ古い街道の総称で、
「熊野街道」とも呼ばれています。

熊野古道の中心は、大阪から和歌山を経て、田辺から熊野本宮に向かう中辺路(なかへち)。そのほか、田辺から海岸線沿いに那智へ向かう大辺路(おおへち)、高野山から熊野本宮へ向かう小辺路(こへち)、吉野から熊野本宮へ向かう大峯奥駈道、伊勢と熊野速玉大社を結ぶ伊勢路など、いくつかのルートがあります。

世界遺産登録決定へ

その熊野古道が、「高野山」「吉野・大峯」とともに、「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産登録が決定しました。
熊野古道が高野、熊野、吉野・大峯の各霊場に至る参詣道として、霊場への信仰が拡大するともに整備され、今日においても周辺の景観とともに良好な形で維持されていることが貴重な文化遺産として評価されました。

白浜町内では、熊野古道大辺路「富田坂」「仏坂」が世界遺産に登録!

白浜町の「富田坂」から始まる「熊野古道 大辺路街道」が世界遺産に登録されました。
白浜町の「富田坂」から「仏坂」、すさみ町の「長井坂」に続く大辺路街道のうち、自然と文化的景観が残された参詣道として、峠越えの尾根道や石畳道が世界遺産に登録されました。

富田坂は白浜町内の富田地区より、「安居辻松峠」を越え、日置川流域の白浜町安居に越える峠道。安居辻松峠から椿駅に下りるルートもウォークコースとして整備されています。

また「仏坂」は、富田坂に続き白浜町安居からすさみ町に越える峠道。
日置川を渡し舟で渡り、急峻な峠越えの道となります。

熊野古道大辺路 ~海を臨む「文人墨客」の道~

大辺路は海辺を巡る行者の道として古くから開けていたと考えられています。平坦地は生活道として車道に吸収されていますが、峠越えに尾根道や石畳道が残り、近世の文人墨客が通った風光明媚な魅力が残されています。

紀伊山地の霊場と参詣道とは?

熊野エリアマップ
(クリックすると拡大)

紀伊山地には、神仏習合の「熊野三山」、密教の「高野山」、修験道の「吉野・大峰」と、それぞれの起源や内容が異なる三つの「山岳霊場」とそこに至る「参詣道」が生まれました。

三つの山岳霊場には、都をはじめ全国から人々が参詣道を通って訪れ、日本の宗教・文化の発展と交流に大きな影響を及ぼしました。
「紀伊山地の霊場と参詣道」は、三重、奈良、和歌山の三県にまたがる「紀伊山地の自然」がなければ成立しなかった「山岳霊場」と「参詣道」、及び周囲を取り巻く「文化的景観」が主役であり、日本で唯一、世界でも類を見ない資産として価値の高いものです。

世界遺産とは?

ユネスコの「世界の文化遺産および自然遺産の保護に関する条約」、いわゆる「世界遺産条約」にもとづき、人類共有のかけがえのない財産として、国際的に保護していくことが義務づけられている遺跡や建造物、自然などのことです。
日本では、「法隆寺地域の仏教建造物群」「姫路城」「屋久島」「白神山地」「古都京都の文化財」など14カ所が指定されており、「紀伊山地の霊場と参詣道」は日本で12番目の世界遺産として指定されました。

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